☆第08ぼちぼち小隊

旅の話、ランニングや自転車の話、 映画や小説、音楽、日々の雑記など。 ゆっくりしていってください。  (*⌒∇⌒*)

いろいろ考えた

小話3件 よく分からない事が多い 他

今日は小話を3件です。

1.よく分からない事が多い

最近ニュースなどでもよくわからない事が多くてこまっています。
例をあげてみると、


A.暴力団と黒い交際があるとして芸能界を引退に追い込まれた島田紳助さん
→その元凶であるはずの暴力団の存在の是非を、誰も問わないのはなぜだろう。島田紳助さん、誰かに迷惑かけたっけ?

B.政府がTPP参加に向けて交渉参加を表明
→結局、賛成派は輸出が増える製造業などをバックに、反対派は打撃を受けるであろう農業をバックに支援者の利害の代弁をするばかりです。そもそもなぜ貿易には本来関税が必要なのか、それを廃止するのがなぜ良いことのか、中長期的に日本の産業形態をどうしたいのか、なぜ政治家はそれらを語らないのでしょう。

C.国の12年度予算案発表。過去最悪の国債割合が明らかに
→税収42兆円、新規国債44兆円。つまり、もしも税収が2倍になってもまだ収入が足りないという異常事態が来年も続きます。消費税アップの方向で話が進んでいますが、それで数兆円税収が増えたところで焼け石に水です。総額1千兆円の国の借金、一体どうしたら返せるのでしょうか。そういう視点で誰も議論をしないのはなぜでしょう。

そんなこんなで世の中よく分からないことだらけです。とは言え、まあだいたい想像はつくんだけどね。
A.→すでに排除出来ない規模になっていて、仕返しされるといやだから。
B.→彼らにとっては別にどうでもいい事だから
C.→借金どう転んでも返せっこない額だから

想像はつくんだけど、それらが新聞やTVで一切言及されないのが煮え切らないところです。今年一番気味が悪かったのはメディアの韓流ゴリ押しです。著作権や会社資本の実態などから背景がだんだんと分かってきましたが、その裏でどんな力が働いているのか怖ろしいものがあります。

今年は震災後の初期の脱原発デモやフジテレビへの韓流抗議デモなど、いくつもの情報が新聞、TVから黙殺されました。メディアの膿が明るみとなった年とも言えるでしょう。個人的にはメディアで流される情報は真実の半分にも満たないと思っています。というわけで、メディアに騙されないように政治、経済、社会、その他もろもろ、もっといっぱい勉強しないとね。
自衛、自衛。(´・ω・`)


2.初めて軽自動車を良いと思った
スイフト号を1年点検に出して代車で「パレット」という車が来ました。スズキ車では代車で軽が来ることが多いのですが、今までは動力性能や快適性に毎回少なからず不満を感じていました。
それが今回パレットという車が来て、軽を初めて良いなと思いました。加速性能はCVTの繋がりがよく660ccである事を忘れさせます。80km/hまでは加速性能に全く不満がありません。また重心は高いけれど安定したバランスのいい乗り味でストレス知らずです。特筆すべきは軽のサイズを目いっぱい使った広い室内です。シートをフラットにすれば自転車をそのまま積めるでしょう。お見事の一言に尽きます。
いまでは日本の自動車販売数の約半分は軽自動車です。軽自動車の維持費は普通車と年間で約10万円の差があります。軽自動車をファミリーカーとして浮いた分の差額は貯金に回す、というのもありかなと初めて思いました。買う買わないは別としてだけどね。


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代車だけど感激してけっこう乗り回し、返す時にはディーラーさんにベタ誉めしておきました。
イイ!(゜▽゜)


3.GARNET CROW ニューアルバム
GARNET CROWの9枚目のアルバムが出たので買ってきました。今回も明るい曲からちょっとダークな曲や力強い曲まで幅広くそろっています。相変わらず中毒性が高く、いまでは聴く音楽のほとんどはGARNET CROWです。ぼちにとっての邦楽とはガーネットと同義になりつつあります。

【参考】youtube。収録曲より「Misty Mystery」のPVです。



興味を持たれた方はアルバム買ってあげてください。

布教活動。(* ̄∇ ̄*)



~おしまい~

結婚について考えてみた(その6)

~崖っぷちから見た希望編~

前回の続きです。

人の行動原理について少し考えてみます。人がある行動を取る時、その動機づけはたいてい以下の4つのどれかに当てはまります。

A.目的
その行動自体や、それにより直接得られるものが目的となる場合
B.手段
別の何かを得るための手段として行動する場合
C.義務
道徳、倫理、規範に従って行動する場合
D.回避
危険や不利益を回避するために行動する場合

人がある行動をとる時、どの動機づけで行動するかで意味は全く違うものになります。例えば、ある人がトイレ掃除をする時に、「A.利用する人が気持ちよく使えることを願って掃除する」のと、「B.トイレ掃除をするとトイレの神様が美人にしてくれるから掃除する」のとでは、やる内容は同じでもその本質は全く異なります。ある行動により得られる喜びは、言うまでもなく「A.目的」が最も大きなものになります。B.~D.は、別の何かを得るための、または何かから逃れるための手段にすぎないからです。

しかし実際には、人が行動をとる時にはA.~D.は複雑に入り混じりどれか一つが100%を占めるという事はまれです。ある人が企業で働く時には、A.仕事により得られる報酬、やりがいが目的であると同時に、B.企業ブランドによる地位や名声を得るため、C.国民の義務としての労働、D.そもそも稼いで食べないと死ぬし、といった様々な動機づけが入り混じります。そしてこれは結婚についても同じことが言えます。個人的な話ですが、ぼちのいまの結婚に対する考えは以下のような内訳になっています。

A.目的・・・結婚や幸せな夫婦生活に対する憧れ(50%)
B.手段・・・社会的信用、世間体も少しは気になる(5%)
C.義務・・・一人っ子ゆえの親や家系に対する義理もあり(35%)
D.回避・・・売れ残って一人はやっぱりイヤだ(10%)

というわけで、前回までいろいろと結婚に関するデメリットやリスクも挙げてきましたが「結婚はしたい」です。ただし、「しないわけにはいかん」という思いも少なからず含まれます。以下は結婚を目指すという前提でラストに向けて話を進めていきます。

☆ベストな結婚とは何か☆
人の行動の動機づけについて「A.その行動自体や、それにより直接得られるものが目的」となる場合が、最も喜びが大きいと先に述べました。そして結婚の動機づけがA.の場合でも、「1.ある人と一緒に幸せな家庭を築くことが目的」な場合と、「2.幸せな家庭を築くために理想の相手を探す」というのではだいぶ意味合いが違ってきます。結婚時におけるベストは間違いなく前者の方でしょう。後者の方は幸せな夫婦生活が目的ではあっても、結婚時における大事な要素である「誰と結婚するか」についての必然性が揺らぐからです。ようするに、条件さえ合えば誰でもいいのか?という話になるからです。お見合いや婚活というものが時として敬遠されがちなのはそのせいかもしれません。
ただし、中長期的に見た場合にどちらが幸せなのかは一概には言えません。熱烈な恋愛で結婚した2人が熱が冷めて別れる場合もあるでしょう。お見合いで自分をよく知る人が薦めてくれた相手が一生の伴侶として最適だったということもあるでしょう。結婚情報サービスが過去の膨大なデータからマッチングした相手が正解な場合だってあるかもしれません。

☆いまやるべきこと☆
なぜそんなことを書くかというと、今後は結婚にむけておそらく何らかの活動が必要になるだろうと考えているからです。ぼち自身の過去を振り返れば若い頃は理想を求めすぎて何度も痛い目を見ました。女性との付き合いで本気で結婚を予感した事は一度だけです。そのうち妥協する事を覚え、互いの寂しさを埋め合わせるような付き合いだけになりました。「大人になるっていうのは、欲しいものと手に入るものとの間に上手く線引き出来るようになる事なんだぜ」と誰かが言っていましたが、ぼちが具現化しました。一体何をやってるんでしょう。
器用とは言い難い恋愛経験の中で、これからの半生を一緒に過ごす相手を見つけなければいけません。いままでの流れの延長でタイムリミット内にその相手を見つけ出す自信はありません。おそらくは何らかの婚活と呼ばれる活動が必要となるでしょう。
個人的には人生の勝者とは最後に笑顔になれた者だと思っています。先の話のように結婚で最後に笑顔になれるのがどの形かは一概には言えません。まだ勝機を諦めるには早すぎます。「野球は9回の裏ツーアウトからが勝負だぞ!」という古い友人の言葉に勇気づけられます。

じゃあ8回まで何やってたんだよ、とつっこまれると困るんだけどね。
f^_^;

☆時間的猶予はあまりない☆
しかし、そのための時間的猶予はあまり残されてはいません。ぼちは先日35才になってしまいました。例えるならば、中学校の夏休み残り5日で宿題まったくのノータッチ!といった状況が近いでしょうか。夏休み残り1日ほど絶望的な状況ではないにしても10日前ほどの余裕はないよ、と言ったところです。ここで怖いのは、夏休みの場合は終わりが明確なのに対して、35才の結婚では背後に迫った崖まであと何メートルか分からないという事です。個人差はあれどデッドラインは確実に存在します。
ここで現実問題として怖いデータがあります。厚生労働省の「婚姻に関する統計」から算出すると、35才時点で独身の男性が5年以内に結婚できる割合は14.8%だそうです。がんばって14.8%に入らないと、おそらくはあとがありません。
ピ~ンチ!( ・◇・ )


でも崖っぷち感は割と好きなので、ちょっと楽しんでたりもするんだけどね。
夏休みの宿題は最後に大急ぎでやる人。
(* ̄∇ ̄*)



・・・・・・最後に、

2004年のM-1決勝、漫才コンビ麒麟の田村氏は漫才の最中にもかかわらず自分たちを鼓舞する言葉を叫んでしまいました。今年こそオレたちは優勝せんとあかん、という気持ちが表に出すぎてしまったのでしょう。予想外の言葉に相方の川島氏も思わず笑ってしまいました。30代が結婚というものに対して向き合うには、それぐらいの気概を持って当たらないといけないのでしょう(焦りすぎや気負いすぎもいかんけどね)。最後はその言葉をそのまま借りて最後の締めとしたいと思います。


「がんばれ、オレたち!」 ヾ(*`Д´)ノ



すべての独身の30代に、幸福あれ。



~おしまい~

結婚について考えてみた(その5)

~結婚しない理由、そもそも無理があるのでは?編~

前回の続きです。

現代日本では晩婚化・未婚化が進み、それは少子化につながり大きな社会問題となっています。2009年度のデータでは初婚年齢は男性30.4才、女性28.6才です。合計特殊出生率は1.37と人口の維持に必要な2.08を大きく下回っています。ではなぜ現代の若者は結婚しなくなったのでしょうか?

☆結婚しなくなった理由☆
一般によく言われる晩婚化・未婚化の原因を3つのタイプに分けてみます。

A.結婚したくても出来ない
・若者の収入減少(一人で精一杯、家族を養うなんてとても無理)
・経済格差拡大(非正規雇用ほど婚姻率が低いことが統計で判明)
・将来への不安(政治、経済、年金、日本の今後どうなるの?)
・結婚のリスク化(人生プラン崩壊のトリガーに成り得る)
・需要と供給のミスマッチ(男女ともに相手に高望みをしすぎ)

B.結婚しなくてもよくなった
・家、血筋意識の希薄化(結婚しろとあまり言われなくなった)
・女性の社会進出、経済的自立(嫁にいかなくても生きていける)
・価値観、ライフスタイルの多様化(結婚だけが人生じゃない)
・個人主義の浸透(個人の考えが何より尊重)
・コミュニケーション形態の多様化(さみしくなんてないもん)


C.そもそも結婚したくない(人による)
・お金と時間の自由が大幅に減る
・膨大な責任を背負うことになる
・親戚付き合い等のしがらみがイヤ
・一人の相手と一生一緒とか保証できない
・やり直し不可の一発勝負、ハードルが高い

結婚とは得るものが多い一方で、デメリットも多分に含まれます。人は基本原理としてメリットよりもデメリットの方が大きいと判断すれば行動に移しません。
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晩婚化・未婚化の原因については様々な意見がありますが、根本原因や解決策についてはまだよく分かっていない面も多いようです。一般には経済面、社会不安がよく原因とされます。しかし人は子ども手当てをばらまけば結婚して子供を産むというほど単純なものではありません。

そんな中、興味深い説があります。

☆選択肢が多くなったから結婚できなくなった☆
社会学者の山田昌弘氏は、近年の晩婚化は男女の選択肢が増えたために逆に結婚できなくなったと説いています。1970年代ごろまでは、結婚前の男女における出会いの機会、時間的猶予が限られていました。当時は男女の多くが最初の交際で即結婚に繋がっていたといいます。それが文化と価値観の移り変わりにより、結婚とは相手を十分吟味し理想の相手と結ばれるべきという考えが浸透していきました。相手を選ぶ機会と期間が増えれば、かえって決断することが出来なくなる。これは若者の就職難にも見える傾向だといいます。

・・・では、その転換期に何が起きたかというと、

☆1980年代にレートが釣り上げられた☆
フリーライターの堀井憲一郎氏によれば、1980年~90年代に主に女性側から男性側への恋愛におけるレートが大幅に釣り上げられたといいます。クリスマスやバレンタインで男性側に要求されるのは、高級ホテルにディズニーランド、ブランドもののプレゼント、等々。多くの産業が若者世代を巧妙に金儲けのシステムに組み込もうとする要望と、女性のお姫様扱いされたいという欲求とが上手くマッチした結果です。そのトドメとなったのが90年代のトレンディドラマの浸透です。これにより、恋愛至上主義の確立とともに女性側から男性側への恋愛におけるレートは最大限に引き上げられたといいます。こうなってしまえば、男女ともに結婚できない層が出来てしまって当然です。

(参考 「婚活時代」山田昌弘・白河桃子 「若者ころしの時代」堀井憲一郎)


・・・・・・


文化や価値観の変化により、結婚が必須のものから
趣味性のものになってしまえば婚姻件数が減ってしまうのも当然です。さらには理想の相手、完璧に納得できる相手としか結婚しないとなればなおさらです。人がある選択肢を選ぶということは、他の選択肢を破棄することと同義だからです。

その上で、上記の結婚におけるデメリットとリスクの山です。2055年には男性の3分の1、女性の4分の1が結婚しない(できない)という試算もあります。(国立社会保障・人口問題研究所)

☆そもそも制度として無理があるのでは?☆
現代の日本では年間の婚姻件数70万件に対して離婚件数は25万件です。単純に考えれば3組に1組が離婚する言っていいでしょう。実際に別れられることが出来た件数でこれだけです。経済的問題、子育ての問題、世間体、などにより離婚したくても出来ない人を含めれば相当な数の人が結婚を後悔していることになります。
個人的には、現代の日本社会において結婚は制度として無理があるのでは?と思っています。しかしその一方で、結婚というものの意義・利益もまた十分に認めています。デメリットやリスクを飲み込んで制度に乗っかるか、突っぱねるか、どちらにしても相当な覚悟と決意が必要となりそうです。


次回、最終回です。「じゃあどうするの?」を考えてみたいと思います。

(´・ω・`)



~つづく~

結婚について考えてみた(その4)

~じゃあ恋愛って何だ?編~

前回の続きです。

結婚というのは夫婦とその間に産まれる子供のあり方を規定します。じゃあなぜ人は恋をして子供を産むのでしょう。生命の誕生まで遡って見ていきます。

☆オス・メスはなぜ生まれたか☆
地球が誕生してから46億年がたつといいます。地球上に生命が誕生したのは35億年前です。生命誕生にはいまだ諸説あります。自然界に存在する有機物に宇宙線が作用して発生したとする自然発生説や、隕石に乗って宇宙から飛来したという説があります。初期の生命は非常に単純なものでした。複細胞生物が生れオスとメスとに分かれ有性生殖を行う生物が生れたのは生命誕生から10億年以上たってからです。
ダーウィン以来の進化論では「生物は偶発的な突然変異と自然選択によって、より環境に適した遺伝子を持つ種が生存を許された」と考えられています。遺伝子の突然変異によって、他とは少し形質の違う個体が産まれたとします。その個体が、他の個体よりも環境により適していたならば、その個体が子供を残せる可能性は高いでしょう。この繰り返しによって、環境に適した種のみが残されていきます。これが自然選択説です。
この時、単に突然変異の確率に依存するよりは、別の個体と染色体をシャッフルする方がより遺伝子に多様性を持たせることができます。つまりその子孫が生き残り、後世に遺伝子を残せることが出来る可能性が高くなります。これが、多くの動植物がオス・メスに分かれている理由です。

☆恋愛の起源について☆
それでは恋愛とは一体何なのでしょう。オス・メスに分かれている生物が全て恋愛をするかというと、そうではありません。まずカブトガニなどの原始的な生物では、オス・メスを互いに見分ける事は出来ても個体差を見分けることは出来ません。ようするに相手は誰でもいいのです。
またオスとメスが互いに子供を育てる事がない生物にも恋愛はありません。そこにあるのはより生存確率が高い子孫を残すための互いの品定めだけです。性交が済んだらさようならです。長期に渡る恋愛感情とは、脳がある程度以上発達しオスとメスが共に子育てをする生物にだけ存在します。子供が独り立ちするまで互いに協力し合うための強力な心理作用、それが恋愛の起源です。
そして多くの動物では、子供が独り立ちするとつがいは自然に別れ次の相手を探します。その方がより多様性を持った遺伝子を残せるからです。生涯つがい関係を変えないというのは例外的で、霊長類ではテナガザルなどごく一部の種だけです。一応、「名目上は」という注釈つきでは人類も入りますね。

☆なぜ人の恋愛だけがややこしいのか☆
人の恋愛は他の動物に比べて複雑でややこしいわけですが、そのルーツは人類の歴史を辿ることで見えてきます。500~1000万年前、人類の祖先は樹上生活から地上へと降り立ちました。我々の祖先は直立二足歩行を経て両手が自由に使えるようになり、脊椎は大きな頭蓋を支えられるようになりました。これにより、大きく脳の発達した個体が生き残るように進化しました。それと同時に失ったものもあります。骨盤の形状が変化し、早産で子供を産まないといけなくなったのです。
人の子供は手間がかからなくなるのに5年、肉体的に成長し独り立ち出来るまでに最低でも10年はかかります。人類においては、相手をよりよく吟味し子育てが終わるまで離れないか見極め、協力関係を持続させる必要があります。それは進化の過程で、人が持つ複雑な言語や表情、コミュニケーション能力、性能力の発達を促しました。人はその他の動物よりも強力に長期にわたりオス・メスが結びついている必要があるのです。
その複雑で強力な恋愛感情は、心理的に大きな喜びをもたらすと同時に、反動でこじれれば互いを深く傷つけます。人は恋破れれば深く傷つき、時には嫉妬し、相手や恋敵への憎しみへと繋がる事もあります。色恋のもつれで自殺、殺人にまで至るのは人類ぐらいのものでしょう。複雑かつ強力な恋愛感情は諸刃の剣とも言えるのかもしれません。

☆人の恋愛と結婚について考える☆
人の愛は脳の構造として4年で終るという説があります。より効率よく遺伝子を後世に残すには、子供が独り立ちする前後でつがいが別れて再び相手を探した方が戦略的に優れています。かつて人類の祖先は4年前後で子供が独り立ちしていたといいます。世界的に見て4年目の離婚が最も多いのはそのせいだという説です。
これには賛否両論あるようですが、人は現実問題として相手に愛想も尽かすし浮気もします。結婚制度というものはどの文化圏でも存在しますが、人が進化の過程で得た特性と社会として必要な規律との間のズレを、制度がうまく補正しバランスを取っているとも言えるのかもしれません。
もっとも、寿命が延びた現代の先進国では人は80才まで生きます。30才で結婚するとして死ぬまで50年間を夫婦は一緒に暮らしなさい、と一律で規定するというのはちょっと無理があるようにも思えます。結婚制度自体も、前回お話した欧州の事実婚を容認するスタイルのように、時代に合わせてバージョンアップしていく必要があるのかもしれません。


(参考 リチャード・ドーキンス「利己的遺伝子」 ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」「愛はなぜ終わるのか」 他いろいろ)


・・・・・・


☆注意☆
以上、かなり圧縮してですが恋愛のルーツは生命の起源にまで遡る事が出来るというお話でした。生物学や進化論の話には諸説ありますし、それが人の生き方を規定する訳でもありません。それらはあくまで”参考程度に”でとらえる事が大事です。よく考えて最後は自分で決めましょう。

次回は現実レベルに視点をもどして「現代日本でどうして人は結婚しなくなったの?」「子供を産まなくなったの?」について考えてみます。
(´・ω・`)




~つづく~

結婚について考えてみた(その3)

~そもそも結婚って何だ?編~

さらに続きです。

☆そもそも結婚って何なんでしょう?☆
結婚制度とは、社会を構成する最小単位の家族を規定するための取決めです。機能としては、夫婦の互いの立場と役割を定め、不貞を禁じ別れにくくするものとして働きます。ありていに言ってしまえば「接着剤」としての機能です。
現代日本では、ある男女が共に暮らし子供を産み育てるという場合、法的に婚姻関係を結べば税金、保険、年金、相続などあらゆる面で有利になります。逆に、婚姻関係を結ばなければ非常に不利になります。さらに世間体という面でも婚姻関係を結ばず子供を産み育てるのは困難になっています。事実婚を許さないというのが日本の結婚制度の特徴の1つです。
また結婚するのは簡単でも離れる際には多大な労力を要するというのも特徴です。離婚調停、裁判、慰謝料、財産分与など、こじれれば泥沼の騒動が待っています。結婚とは、非常に強い拘束力で夫婦関係、家族関係を維持するための制度なのです。そしてそれと同時に戸籍や財産相続などの管理という面も持ち合せています。

☆結婚の歴史をふりかえる☆
さかのぼって日本の結婚の歴史を振り返ってみましょう。日本の古代では結婚の制約は少なく、10世紀ごろまでは男女が自由にひっついては別れてという事が許されていました。
やがて中世で家父長制が生れ結婚が社会性を帯びてきます。近世で武家社会が確立し生産単位としての「家」が強固になるにつれて、結婚は制度として強力なものになっていきます。結婚は当人たちの自由恋愛によるものではなく、家と家との間を人が移動するという意味合いへと変化しました。誰と結婚するかの自由は当人たちから奪われ家長が決めるようになりました。また夫婦間の立場と役割が明確化され、離婚にも厳しい制限がつきました。それは特に女性の権利に対しての制約が強かったようです。
家父長制を軸としての婚姻制度は形を変えつつ明治・大正へと続きます。近代では自由恋愛は道徳上否定されました。その反乱として結婚とは本来当人たちの自由恋愛によるものだという思想が生まれましたが、制度が揺らぐ事はありませんでした。
現在の制度へと繋がる大きな変化は、戦後の憲法制定と男女同権に基づく民法改正です。それにより家長による支配的な家族制度は解体され、家族は平等な個人からなるものへと形を変えました。その後、徐々に家や血縁といった概念は薄らぎ、現在の「結婚とは当人たちの自由意思によるものだ」という思想が定着していったのでした。

(参考:「家族と結婚の歴史」 関口裕子 他著)

☆昔は自由に相手を選べなかった☆
ここで特筆すべきは、現在の自由な結婚の形はこの100年足らずの間に形成されたものだという点です。近代では自由恋愛とはいやらしいものとして道徳上否定されました。当時にも個人間の自由な結婚はありましたが、お見合い結婚が大半を占め、家同士がかってに相手を決める場合が多かったのです。お見合い結婚の占める割合は、1930年代70%→1995年10%→2005年6%と、この100年足らずの間に大きく減少しました。
今の感覚で考えると近代までの結婚制度というのは大変窮屈なものに思えます。冒頭のように、現代の結婚制度でも非常に堅苦しく感じるのですが、「誰もが自由に相手を選べる」という点だけでもありがたく思うべきなのかもしれません。そんな中で、前回のように「理想の相手つったって大半の人は無理じゃん」なんて言ったら、自由恋愛による結婚を求め戦った近代の作家や思想家の人たちに怒られてしまいますね。

う~ぬ。(´・ω・`)

☆海外の結婚について☆
海外に目を向ければ、現代では多くの国で一夫一妻制が基本となっています。それでも制度や文化の違いにより実態には大きな違いがあります。個人主義の強いアメリカではほぼ2組に1組のカップルが離婚します。フランスでは男女が共に暮らし子供も持つけれど結婚はしない(事実婚)が一般化しています。それを許す法体制があるからです。その傾向は欧州の他の国々にも飛び火していきました。
もう少し視点を広げれば、宗教・文化により形態そのものが違う文化圏もあります。イスラムでは宗教的な理由から自由交際が認められていないし、家族以外の男女の接触を禁ずるなど結婚後の生活に様々な制限がつきます。その一方で制度上は一夫多妻が認められているといった面もあります。
どんな文化圏でも、自由恋愛とは意味合いを異とした制度としての結婚というのは必要なようです。そしてその形態に正解はありません。その国の文化・宗教に合いさえすれば、形態の自由度は高いように思われます。

・・・・・・

とはいえ日本で結婚制度が今すぐ変わることはありません。我々(結婚前の男女)がいますべきは、制度をよく知り、どう向き合うかを決めることです。民法の結婚に関する項目は全て読むぐらいはした方がいいのかもしれません。結婚するにしても、しないにしてもね。

結婚の本質とは男女が子供を産み育てる家族というものをどう規定するかです。次回は、さらに根本にさかのぼって「じゃあ何で人は恋愛をするの?子供を産むの?」を生物学、進化論の方面から見ていきます。

まだ中盤。(* ̄∇ ̄*)




~つづく~
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ぼちぼちね

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